令和3年を振り返って(森杉國作)
前年は、善根という言葉の意味をひしひしと感じた。
しかしながら、年末の15日頃から雪が降り始め、近年にない豪雪となる。村民の生活に多大な混乱を招いただけでなく、道路の側では何も管理されないままの杉の木が積もった雪の重さに耐えきれず、無残にも引き裂かれ重なり合って倒れた。県道、市道の道を塞いでしまい、孤立した集落が氷見市内でいくつもあった。
八代地区でも、50数年前に地滑りで大災害にあった胡桃集落が再び被害にあった。八代環境パトロール隊が駆けつけたときはもはや為す術がなかった。電柱が倒れ、電線が道に沿って道路をはい、危険極まりない状況だったからだ。
元隊員の土平栄一宅に電話連絡をし、状況を把握し、緊急の対策を施した。幸いにも早急に電気が復旧し、寒さに対しての難を免れた。倒れた木の伐採も進み、どうにか道路を通行できるようになった。
1月14日、あまりの被害の大きさに国の防災担当大臣が急きょ現地視察に訪れ、県知事、氷見市長も現場に駆けつけた。私は氷見市の担当職員から依頼され、一行が現場に行くまでの道の管理と駐車場の設営を行った。県知事は「災害に対しての情報収集が脆弱だったが、瑕疵は無かった」と語っていた。
私は雪の降る日には、真夜中の2時に起床し、集落の除雪に向かう。市道から村道に入ったところで暮らす高齢者の身を案じて、より一層丁寧な除雪を心がけている。現在は多くの家が空き家となり、放置された木は無駄枝がはびこる。それが除雪機械の通行を妨げると同時に集落全体を暗くしている。暗闇の中で、新聞をいち早く届けてくださる方と道で出会うと私は大きな喜びと勇気をいただく。
毎日、弁当の配達を頼んでいる障がい者の方が村内にいらっしゃる。ある日、業者から「積雪が多すぎて、落ち着くまでは配達ができない」と断りの連絡があった。その障がい者の方は冷蔵庫に残っていたものでしばらくはしのいでいたが、想像を超えて降雪が続いたため、冷蔵庫の中が空になってしまった。そこで、パトロール隊に助けを求めてこられた。
その方の家は県道から70メートル入ったところにあり、庭には1メートルを超える積雪があったので、タイヤショベルを稼働させ、隊員3名で全てを除雪した。生命を守ることができたことに隊員一同心から安堵した。
一方、今年は記念すべき事業もあった。
荒山峠の看板と石碑周辺のコンクリート工事を完成させ、その輝かしく歴史ある名所・旧跡に日頃格別なご指導をいただいている巻島大樹氏をお迎えし、記念写真を収めたことは終生忘れることはない。また隊員一同でも記念写真を撮り、パトロール隊本部に掲げている。
地域の海峰小学校の児童を連れて、荒山峠、枡形山、田中牛舎への案内役を務めたことも印象深い。後日、児童それぞれの想いを描いた一枚の看板を八代に建てることになった。
子どもとのふれあいが薄れ、学校との交流が高齢化社会の著しい進展のため、限られたものになっている。子ども達の未来のために、自分たちにできることがあるならば、喜んで協力をさせていただきたい。
高齢者への見守りは社会福祉協議会との協定で一段と中身の充実した「地域サポーター見守り協力隊」を結成し、精力的に訪問を行った。成果は十分に発揮されたと隊員一同手応えを感じている。
コロナ禍で社会は不公平に満ち、閉塞した時代を迎えている。やりきれない虚しさといたたまれない境遇に悩まされていると感じている。しかし、「日はまた昇る」。信じて生きなければならない。人生は常に前に進むためにある。私はいつも心でそう思いながら、地域活動に邁進している。
文:八代環境パトロール隊 隊長 森杉國作
★森杉隊長の半生を紹介した動画(2019年制作)は以下よりご覧いただけます。
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